【対談】

               震災から三年目の夏。

              ドキュメントから物語へ

 

  和合亮一(詩人)×篠本賢一(構成・演出)×三田直門(俳優・企画)

 

 

文責・平野真弓




和合亮一(詩人)

福島県生まれ。1999年に詩集「AFTTER」で中原中也賞。福島県で国語教師として勤務するかたわら、詩の朗読や講演で全国各地を回る。暗喩を多用する現代詩の手法で震災後の福島を描いた詩集「廃炉詩篇」を2013年6月に刊行。

 

篠本賢一(演出家・俳優)

東京生まれ。円演劇研究所専攻科を経て、1988年遊戯空間を旗揚げ、1991年より故観世榮夫に師事、「ヒデオゼミ」で能のメソードを学びながら、古典芸能を視野に捉えた現代劇創作を展開する。2005年より詩人・和合亮一の現代詩による「詩×劇」の創作をはじめる。

桜の花が満開のころ満面の笑みで福島から来団された和合亮一さん。篠本賢一さんとは20年来の友人でもあり、終始笑いの耐えない対談となりました。詩人であり、高校教師をされながら高校演劇にも関わられている和合さん。演劇との出会いは、福島高校のとき。厳しい指導の中それほど熱心にやっていたわけではなく、でも言葉の面白さ、セリフの言い回しの面白さを感じていたそうです。そして大学でひょんなことから詩を読むゼミに入り・・・。

和合夏休みとクリスマスの時に詩を書いて合評するっていうのがあって初めて詩を書いて合評会に持っていったんです。そしたら先輩達が凄く褒めてくれて。ああ、なんか詩を書くのって面白いなって思うようになって。なんかこう自分の中でなにか求めていたんですけど、自分でなにか作る人間になるとは思わなかったんですその時までは。明日詩を書いてもっていかなくっちゃいけないなと思ったときにワクワクして。言葉の面白さっていうものに、だんだんと惹かれていって、詩を書くようになってそれでまた演劇をやってみようかなと思いまして。唐組が5年間福島の町の中でテント公演をしていて観に行ったんです。芝居を観たときに意味が解らないんですけど自分はこういう世界好きだなと思ったんですね。一番決定的だったのは僕は、何かやりたいと思ったときに東京に行かなきゃいけないって思ったんですが、家族のことがあって福島に残らなきゃいけない。それで福島でずっと何か活動していくというのは、ほぼ難しいと思って。それでちょっと落ち込んでいたときに、私の詩を書く恩師が、詩を書く人間は自分の環境を変えるぐらいの力を持っているのが本当の詩人なんだ、と仰ったんです。だから和合くんは東京に行かないと自分のやりたいことが出来ないと思っているみたいだけど発想を変えたほうがいい。この福島で自分の環境を変えるぐらいのそういう力を持てなかったらとうてい詩人なんかなれないってアドバイスしてくれて。その時と唐組の芝居を観た時期が重なって。観てて、最後バタって背景を倒したときにいつも眺めている福島の風景が芝居の中でまったく違う風景に見えたんです。そのときに、いわゆる異化っていう、比喩化するっていうことが自分なりに分かった気がしたんです。福島の風景を異化していって例えば世界中の風景に置き換えるとか、宇宙の風景に置き換えるとか、そういうことをしようとするようになったんです。意味不明な世界でほとんど全然解らない、だけど最後まで気持ちが引っ張られていって意味不明な中でパタンと倒して。ああいう世界にすごく自分は惹かれたんです。だから現代詩に向かっていくんですけど。

篠本今回の作品の構想としては「入道雲入道雲入道雲」と「廃炉詩篇」をミックスしてみようと思っていて、しかも「入道雲」がメインになるんです。今の福島の現状を直接的なルポルタージュとして語るのではなくて、和合さんの経験した福島の思い出だとか、風景だとか、感じていた出来事だとかを、まず僕らが言葉や身体を使って表現していくっていうこと。そのかつてあった文体が和合さんの原型だとしたら、今、一番新しい詩集の「廃炉詩篇」の和合さんの文体がどういうことになっているのかという相互関係を導き出せればいいなと考えているんです。

和合詩を書き始めるのとほとんど同じくらいに朗読をしてきて、ある時エネルギーを出し尽くしたら歩けないときがあって。現代詩を伝えるっていう読み返しの中で基準は例えば発汗ですよね。汗を掻く。汗を掻かないとなんか自分の気持が逃げてる。一番の物差しは身体で合ったんだっていうことを25年近くやってきて最近改めて感じるんです。一番感じたのは、震災のときに一ヶ月で1002回の余震があったんですけどその間ずっと揺られ続けて脅えて不安になって逆に「詩の礫」を書くようになってからは地震っていうのが記録になっていくんです。1002回 身体で感じた震災の感覚というのは生々しくずっと残っているんです。震災後、声を出すようになって震災のときの感覚をなるべく自分の身体に残っているものを呼び込むというか、消さないようにしたいと思うようになってきたんですよ。お客さんと一体化してこの震災の本質的な部分を伝えたいと思うと自分は凄く必死になるんですよね。必死になることを続けて生きていく中で一番感じるのは、空気っていうのは生きているんだ空気が生きているように見えるときに程、自分がどんなふうに伝えていったらいいかって事が解るし。

篠本:今回は演劇空間です。和合さんは一人で語り的な展開をしてるでしょ。それを集団でやるとどうなるのかっていう。演劇は複数そこに人がいるってことはそこに関係が生まれるからこの言葉を観客に投げるだけじゃなくて隣りにいる相手役との意味合いも生じる。

和合:繋がりってことですね。「入道雲」の詩集っていうのはそういうものをもの凄く意識した詩集で長い時間がかかったんです。自分自身には生まれなかった弟がいてその弟との関係から書きついでいったもので20代の頃に書いていた作品なんですね。それが長い時間かかった訳なんですけど詩集になるときに関係性というものをもっと意識をするようになった作品なんですよ。僕の作品はイメージがイメージの連関を得て、一行一行で世界が始まって終わっていくような書き方をしたんですけど、先に先になにかをもっていくような書き方を初めて自分の中で見つけた詩集なんです。

篠本:一本一本が短編小説だとしたら「入道雲」は長編小説じゃないですか。当時千行詩っていう言い方でそれに挑戦したって話していましたね。そこにも、またその他の詩とは違った試みというものがあるんじゃないかと思うんですねその「入道雲」には。

和合「入道雲」に出て来る一人称の僕が旅をしていった世界なんです。この僕が、ロードームービー的に旅をするんですけど、旅をした世界が、自分の頭の中にずっとあってですね。例えば人間がこう広げられるイメージって言うのは非常に限られたものだと思うんです。だけど「入道雲」書いて、毎日そのイメージと向き合っていくと、その場に行かなくてもその場所と同じイメージが得られるんじゃないかっていう風になったんです。冥王星にももちろん行ったことないんですけど冥王星をずっと書き続けていると冥王星の風景、イメージっていうのが絶対に行くことないのに行ったってことになるんですよね(笑)旅した事になる。震災後、放射線量が高くて外に出られませんからずっと家に閉じこもっていた訳ですけど、飛び込んで来るのはニュースだったり、新聞の記事だった。それを見たりしたときに、自分の気持ちがそこに飛ぶ、そういう感覚っていうのを味わったんです。僕は関係性なんじゃないかと思うんです。亡くなった方が例えばいて、その亡くなった方とお会いした事がない。解りやすい例だと、南三陸の防災庁舎でずっと避難を呼びかけた遠藤未希さんという方がいて、その方に僕は詩を書いたんですね、ニュースを見終わった後に。それをいろんなところで朗読するようになって。お会いした事はないけど遠藤さんという存在が朗読をしているときに非常に近い存在に思えて来るというか。死者といつも隣り合いながら我々は生きているし、その関係性そのものが僕は「入道雲」で生まれなかった弟に書き続けていた時と重なる時がありますね。

篠本僕は和合さんの作品を初期のころからずっと読んで感じるのは、あの震災があってから、ここにはいない弟という家族ではなくて、その言葉がいろんなところに向けて発せられていると。今回は、家族に対する愛情、ふるさとへの愛、そこで育まれた弟に対する想いが一つと、もう一つはいろんな人たちに向けられた想いなんだけれどもそっと温められ育まれるものだけではなく、ちょっと壊れてしまったような、そういう、溢れてしまった言葉っていうか紡ぎだそうとしている言葉っていうことかな。また違う詩集の言葉が空間で向き合うっていうことの意味合いというか、そんなところをね、やりたいなって思っているんですよね。         
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和合:去年スロベニアに行ったんです。そこはもともとドイツに占領されてドイツの言葉を強要されたんですね。だけど詩人たちがそれに抵抗して地下組織でスロベニア語で詩を書いてそして朗読会をやってたんです、ナチスの厳戒態勢の中で。そのあとナチスの占領が取れてからも詩人たちが書いたものとか朗読した意識が受け継がれて母国語が復活したっていうのがあって、すごく詩の朗読とか詩人を大事にする国なんですよ。すごく感じたのは、日本とか他の国と比べて観客が違ったんですね。なんていったらいいのかさっきまでふざけていたのに急に朗読を始めるとなったら、なんか耳が違う人たちだっていう。海外で朗読するときどうせ意味解らないんだから(笑)めいいっぱいやっちゃうんですね。淡々と朗読するのがスロベニアの主流らしくて。僕はすごく絶叫(笑)して、観客もすごい奴がやってきたって感じでどうしていいか解らないっていうか、僕も凄く盛り上がってきて客席の前に立って絶叫したんですよ。そしたらどこからともなくこう拍手がきて。お客さんが違うとやるほうも変わるんです全然。当り前のことなんですけどね。あのときの体験がすごく今、自分の身体の中にありますね。言葉の意味を伝えるために詩を書いている訳ですけど、だけどそれを体を使って表現する時は意味じゃないんだなっていうところまでいくと、なんか自由になれた気が自分でしてくるっていうか。

三田:表現する時は意味じゃないんだって。それ凄くいいな。

和合:もっと凄いのは後ろのスクリーンに僕の書いた詩を、スロベニア語で流すから日本語でやって構わないって言ってくれたんですけど、当日自分が準備していった作品と、事務局が準備してくれて訳した詩が違ったんですよ。それでスロベニア語で流してくれなくても構わないって話をしたんですけど、そしたらちょっと話合いしてくるって言って。その様子を見ながらこれ駄目だと言ったらしょうがない、訳された詩を朗読しようと思って待っていたんですよ。そしたら、それでって言われたんです。誰も解らないから(爆笑)僕が朗読しているのと全然違う詩が流れているっていう。

三田(笑)和合さんのさっき仰った言葉の意味を伝えるのは目的で表現するのは意味じゃないっていうのが凄く僕らの役作りにも当てはまります。去年篠本さんのところで和合さんの作品を演じて言葉に対する挑み方が本当に変わりましたね。固まりで表現するっていう、これは自分にとってあれを経験したことはもの凄く大きいなと。

和合固まりで。

三田はい、固まりで。ブロックで表現するというか。もっと言うと一つの本全体で表現するというか。意味を伝えるんだけれども意味を伝えるのではなくて。

篠本まさに、そこに俳優として充実していないと駄目だってことだよね。

三田そうですね。一秒たりとも舞台に立っていられない。そういう充実感とかエネルギーを持てないと一秒足りとも立っていられない。

篠本そうそうそうそれそれ、エネルギーなんだよ。支えになるエネルギーが強烈に強くないと和合さんの言葉を展開できないんだよね。

和合そうでしょうねっていうのも(笑)自分もそうなんで、わかりますよ。

篠本俳優はどうしても自分の中でしようとするんですね。つまり経験値の中でものをしようとするんですね。

和合経験値ってそうですね。

篠本僕は文体を意識したときに、作家の言葉が俳優を飛躍させることができると思っているんです。その文体に乗れたっていう事は自分にない呼吸を獲得するということなので、自分に新たな経験、そこで生み出される可能性に繋がってくるっていう。

和合それが現実の超なんで。超っていうのがそもそも超えるっていう事だと思うんですけど。超えるっていう感覚が、自分の永遠のテーマなんです。最初からそうなんです。だから、自分も燃え尽きちゃって歩けなくなっちゃって。

三田大変ですね。でも超えるっていうのが凄く解る。和合さんの言葉ってすごく超えがいがあって、超えた時にもの凄い支えになってくれるって。それはすごく感じましたね。

和合堀江敏幸さんが「戸惑う窓」っていう面白い評論集、エッセイ集を出されたんですけど、その中で最初、大きな窓があったとすると、そこで一人で眺めているときは感じないけど、たくさんの人と眺めるとその窓の風景と一緒にたくさんの人が窓を見ている自分をどんな風に見ているか感じながら見ているっていう事を言っていて、とても演劇だなって凄く思って。

篠本演劇的です。

和合ですよね。自分は見ているんだけれども向き合っている訳じゃなくて、向き合っていないだけの話であって、窓を見ながらお互いものすごく強く意識している空間が大きな窓の前にある。僕は日常においてもみんな演劇空間を経験しているんだなと思うようになったんです。

三田共有しながら。

和合なんかそういう感覚なんですよ。超えるっていう感覚に対してたくさんの人がいないと成立しない。はっきりいって抽象の世界。抽象の世界なんですけどそこに具体的にこう受け手がいなければ抽象を追い掛けていくエネルギーが沸いてこない。そういう感覚って言うのは誰にでもわかる言葉を書いてみんなと分かち合う感覚と対局にあるかもしれないし、同じところにもあるのかもしれないですね。

篠本そうですね。それを支えてくれているのが横の繋がりだって言うのはとても演劇的な話ですよね。

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平野最近、近畿とか九州とか行かれていると思うんですけど温度差っていうか何か違ったりしますか?

和合ある町にいったときには、市長さん自ら復興が終息に向かってよかったですねって言われたんですね。結局、マスコミの報道がどんどん減っていきますよね、そうすると静かになりますよね、静かになると復興が進んでいると。遠く離れた町にいるとそう思うのが自然なことだなと思うんです。だけどもう一方では西の方が、水俣だったり広島だったり沖縄だったりあと神戸ですね、結びつきっていうか意識が非常に高くて長崎もそうなんですけど。むしろ逆に熱い眼差しというか教わる事が非常に多い。被災にしても「直接被災」に対して「間接被災」っていう言葉があるそうで、神戸の方から教えてもらったんですけど。ニュースを見たり新聞を読んだりしてそれで傷ついたりしている。それ間接被害っていうそうなんですけど。間接被災者っていうのが今の日本に非常に多いんだと思います。僕がツイッターで書いていたときにも結構反応があったのも実は西の方だったんです。福島でだって温度差が凄く合って、逆に考えたくないって言ってる人が福島にいっぱいいるし。人それぞれによっても捉え方が違いますよね。

篠本地域の温度差ということで言うともしかしたら東京という場所がね、一番震災に対しての温度変化が激しい場所かもしれませんね。たかだか三年前なのに、どんどん塗り替えていっちゃうでしょ。今回の構成を考えるときに「詩の礫」をどうしても入れたくなっちゃった時期があって、特にここに書かれた震災一ヶ月の出来事を。あの出来事は僕たちも生々しく思い出されるし、そこからかなり離れちゃっている自分達にも気づかされたんですね。あの生々しい感じを一年に一回ぐらい思い出さなきゃいけないんじゃないかなって。

和合温度差を持ってる方々にどう新鮮に響かせるか、最近考えます。三年経っても震災は続いているんですよね。僕も感じるんですよ、東京にしょっちゅう足運んでいるので。むしろ逆にどう新鮮に響かせるか、三年経って今ですよね、今何を書くのかっていうのを毎日考えています。

篠本西の方がむしろ熱い反応があるって言ったじゃないですか。そこに横たわっているのがなんなのか、と。やはり、人間の生命が脅かされてはいけないんだっていう想いを皆、共通して持っていると思うんですね。沖縄も水俣も広島や長崎も人間の命というのは脅かされてはいけないということをみんなが共通に思っている。それはいまは福島第一原発がシンボルだと思うし、そうするとやはり福島第一原発はそういう一つの命を大切にする、横の繋がりに拡大していく可能性にもなるわけですよね。

和合そうですね。ここで必要となってくるのは物語性なんですよね。大きな物語の中の福島第一原発っていうのがある。だいたいその第一原発の爆発とその周辺を描いていくというのがドキュメントのやりかたでずっときたわけですけど。この物語って言うのは戦争から続いている不条理のまた一つの形なんだ、ずっと辿っていくと、日本のずっと抱えている不条理の中の一つの震災なんだと考えればそこに物語が必要となってくる。ドキュメントでずっと三年やりつづけてきましたけれども、もう一つ物語の力が非常に重要じゃないかな。

篠本物語になることによって普遍性が生まれてくる。

和合井伏鱒二が「黒い雨」を書いたのが11年後だっていうんですね。だから、僕よりもっとほかの視点もあると思うし。これからの作家がそこに関わっていくのかもしれないし。だから詩を書く人間としてどう関わっていくのか、ここから先の問題になっていくと思うんですよね。自分の関わっているものを今詩を書き始めている若い世代の人たちにそういう姿を見せるべきなのか、一人一人問われているような気がしますね。

篠本そうですね。物語に回帰するってことは、演劇で例えれば歴史にもう一度目を向けていくこともあるし、例えば過去の劇作家に僕らは想いを馳せたり光を当てながら劇作家がどう時代と格闘していたのか、そこから学ぶべきことも多いなっという気もしますね。

 
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